<vol.2>の続き。



●【再検証】あの名誉毀損裁判とは何だったのか?~内館牧子氏・日本将棋連盟・α氏、それぞれの “しがらみ” と “思惑” 、そして “もしも” ~(3)

繰り返しとなるが、「将棋世界」2013年7月号に掲載された、脚本家・小説家の内館牧子氏(1948~)のエッセイ「月夜の駒音」では、同年に開催された「第二回将棋電王戦」(※「コンピューター将棋ソフト vs. プロ棋士」による非公式戦)について掲載された週刊誌の内容(※『週刊新潮』(2013/04/25号)<入玉でコンピュータと引き分け「塚田九段(塚田泰明九段)」を泣かせた非礼感想戦>)について内館氏が感想を述べる内容となっており、その中で、内館氏はある将棋ソフト開発者(※以下、「α氏」と記す。)を次のように中傷したことから、α氏は2013/12/19に内館牧子氏(執筆者)・日本将棋連盟(発行者)・マイナビ(販売者)の三者相手に裁判(民事)を起こし、翌2014/12にα氏の事実上勝訴の形で両者の間で和解が成立した
これが、「電王戦名誉毀損騒動(内館騒動)」である。


「50歳にもなって、教養がないんだなァ。相手にするだけムダだわ。」
(将棋の)文化や伝統、歴史などにはまったく無関心だったのだろう。」
(※2013/04/19秋田魁新報の記事を引用)囲碁棋士の井山裕太さんが張栩棋聖からタイトルを奪い、碁界初の六冠となった際(中略)(※敗れた張氏の気持ちに配慮し喜びを表さないよう努めていた、とされる)二十三歳の井山さんの態度に対し、五十歳の開発者(α氏)は『つまらない将棋』と言った。これを『開発者は部外者だから』で看過してはなるまい。」
「こういう(※囲碁の井山氏の上記の配慮を引き合いにしながら)抑制の精神は、将棋、囲碁のみならず、柔道や相撲などの武道にも、日本独特の文化として共通する。『中高年』と呼ばれる年齢になってもなお、それさえ知らぬ人に腹をたてたり、泣いたりするのは無駄以外の何ものでもない。」

─「将棋世界」2013年7月号掲載 内館牧子「月夜の駒音」第44回「精神文化を学べ」より


1.~騒動の背景に関する「2つの仮説」

この騒動の検証については、

<内館氏の野心による暴走説(内館暴走説)>

という仮説を元にこれまで行っている。
これは、内館氏こそが主導的立場で将棋連盟は氏に振り回されていたとする考え方。

一方、騒動の被害者となったα氏(仮名)が自身のブログで騒動当時に語っていたのは<将棋連盟主導説>
これは、連盟が主導して内館氏を使ったとする考え方。
確かに、この説は過去の連盟内のトラブルを知る一部将棋ファンの間でも支持される向きはあった。

だが、連盟主導説には個人的に以前から疑問を感じていて、過去の将棋世界や騒動当時のネット上の発言を出来る限り読み直しながら、改めてその感覚は強まっていった。
連盟の財政難からの立て直し策として、米長邦雄会長(当時、故人、1943~2012)の肝煎りで2012年に始まったのがドワンゴ主催の「将棋電王戦」
以前伝えた通り、内館氏は米長会長とは “盟友” 関係であったが、同年12月に米長会長が亡くなり、その改革路線の “遺産” (※<vol.2>参照)を継承した谷川浩司会長(当時、1963~)下の当時の連盟にとって、ドワンゴも貴重な大口スポンサーの一つとなっていた。
電王戦が次第に世間の注目を集めていく中で起こった騒動で、コンピューター将棋側の出場者を連盟が内館氏を使って誹謗中傷するという構図は、主催者のドワンゴに発覚すれば撤退されるだけでなく電王戦自体が終了に追い込まれてしまうリスクが大きく、そうなれば谷川執行部は責任を追及され退陣を余儀なくされる事態も大いにあり得ただろう。
そのようなことをわざわざ連盟主導でするのは、連盟にとって得るものより失うものの方が遥かに大きく、普段は対局を通じて損得勘定に長けていたプロ棋士が役員の大半を占める連盟がそれを理解できていなかったというのは少々考えにくい。

ここで、<内館暴走説>を採用するにあたり、まず内館氏が関与していた頃の相撲界と将棋界それぞれの氏を取り巻いていた状況について検証する必要がある。



2.~内館氏と相撲界~


(※参考)
【品格に「物言い」】

2003年初場所の後、横綱に昇進。大関で2場所連続優勝、ともに14勝1敗という文句の付けようのない成績だったが、その品格には「物言い」がついた。(中略)
満場一致で推挙した横綱審議委員会でも、この点を指摘する声が相次いだ。「品格が悪いなら(横綱から)降格させてもいいんじゃないか」(内館牧子委員)という声まであった。日本相撲協会の北の湖理事長は「品格のことが話題になったが、横綱に昇進すれば少しずつ変わると思う。土俵を下りても自覚するよう期待したい」と話した。期待通りにいかなかったのは、のちの数々の騒動を見れば明らかだ。(肩書きなどは当時のもの)

─「朝青龍 騒動記」(時事通信)より


内館牧子氏は、相撲界では女性初の横綱審議委員として横綱朝青龍(1980~)との<バトル>のみならず、相撲協会に対して激しく意見をすることも少なくなかったと言われる。
このため、北の湖理事長(当時・元横綱、故人、1953~2015)にとっては内館氏の存在は煙たかったはずだ。
しかし、相次ぐ不祥事で北の湖理事長は2008年に退任し、後任の理事長に武蔵川親方(当時・元横綱三重ノ海、1948~)が就任したが、もともと武蔵川親方は第一次北の湖政権で登用されたのをきっかけに役職に就いていたので、いわば「ライン」が成り立っていたと言えよう。
(※北の湖・武蔵川の両氏は、「同じ一門(出羽海)」でもある。)


内館氏が朝青龍と相撲協会を週刊誌上で批判(日刊スポーツ 2009/03/12)
https://www.nikkansports.com/m/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20090312-470119.html


これは2009年、「週刊朝日」連載の内館コラム「暖簾にひじ鉄」の掲載内容に関する日刊スポーツの記事である。
記事によれば、朝青龍のみならず相撲協会についても

「朝青龍に対する協会の甘さに立腹する」
「協会がなぜ朝青龍の蛮行の数々を不問に付し続けているのか理解できない。(中略)協会が強い態度で教育すべきである」

などと厳しく批判している、とある。
日刊スポーツも週刊朝日もテレビ朝日と同じ朝日新聞系列であり、内館氏はテレビ朝日放送番組審議会委員も長年務めている

(※ちなみに、同審議会委員長は幻冬舎社長・見城徹氏で、内館氏の著書も幻冬舎から多数出版されている。さらに、見城氏も安倍晋三元首相に近いという報道があり、内館氏も安倍夫人の安倍昭恵氏が会長の日本財団系列団体で副会長を務めており安倍氏に近いと目される点で両者には共通項がある。)

朝青龍は2010年1月に発覚した暴行事件の責任を取り引退したが、奇しくも内館氏の横綱審議委員の退任時期とほぼ重なる形となった。

「日本相撲協会は余りにも朝青龍に甘過ぎる。今回も『厳重注意』で済む問題じゃない。普通の企業なら間違いなくクビ、又次に何かやったら『引退勧告』すべきですよ。」
「朝青龍が自ら引退したことはベストの選択だったと思う。今後は日本であれ外国であれ、その国と業界及びその仕事に対し、敬意を払うことを忘れないでほしい。」

などと氏は当時語ったとされる。

(※10年間の任期満了による横綱審議委員の退任であり、朝青龍のこの不祥事→引退は内館氏にとっては「花道」を汚されたことになり、朝青龍本人のみならず相撲協会(北の湖→武蔵川ライン)に対し相当な怒りや恨みを抱いたであろうことは想像に難くない。)

さらに相撲界を揺るがす “予震” となった、「大相撲野球賭博問題」週刊新潮で最初に報道されたのは、内館氏の委員退任からわずか約4ヶ月後のことである。


【週刊新潮 2010/05/27号】(2010/05/20発売)
「大麻」「朝青龍」に続く第三の衝撃!角界に蔓延する「野球賭博」の罠 大関「琴光喜」が「口止め料1億円」と脅された!



(※ちなみに、本号には将棋関連記事でも<復帰でも「林葉直子」が袖にした「米長邦雄」のラブコール>が同時掲載されている。)


この問題の影響で武蔵川理事長(当時)が名古屋場所終了後の2010年8月に辞任し、後任には放駒親方(当時・元大関魁傑、故人、1948~2014)が就任した。
(※この理事長選挙では北の湖親方も立候補したが敗れている。)


理事長就任以降は公益法人移行を巡って議論が本格化してゆき、自身(放駒親方)も各自の年寄名跡を協会が2000万円で買い取る一括管理案、最高議決機関である理事会の半数を外部で占める私案などを提唱したが外部役員や外部有識者の意見を尊重しすぎたという評があり、大多数の年寄衆は理解を示さなかった。

─Wikipedia「魁傑將晃」(放駒親方・元大関魁傑)より


「理事会の半数を外部理事に」、これはイコール登用する外部理事の人数を増やすことをも意味するため、当時相撲協会の役員を狙っていたと目される内館氏にとっては有利な展開となる。
(※ちなみに、内館氏と放駒親方(元大関魁傑)は共に1948年生まれの同世代である。仮に、両者が懇意の間柄であったとしてもおかしくはない。)
実際、当時のネット上では相次ぐ不祥事で半ばヤケになったのか、内館氏・やくみつる氏・デーモン閣下氏などの著名人好角家を外部理事や理事長に推す声も散見された程だったのだ。

この「大相撲野球賭博問題」についての警察の捜査の過程で、翌2011年2月に「大相撲八百長問題」が発覚し、相撲界を揺るがす大騒動に発展したのである。
年寄衆の強い反発に加え、八百長問題の発覚やその対応に追われる状況に東日本大震災も重なり、放駒改革案は有耶無耶になっていった。
そして、翌2012年に放駒理事長が退任し北の湖親方が理事長に返り咲き第二次北の湖政権が誕生したことで、内館氏は相撲界でのこれ以上の “出世” の道が事実上閉ざされた…と判断したのかもしれない。

なお、内館氏は「大相撲八百長問題」については「知らなかった。夢にも思わなかった。」という立場を貫いている(※Wikipedia「内館牧子」より)とされる。
八百長問題に関しては、同じ著名人好角家のやく氏やデーモン氏には何らかの発言が残されているが、内館氏の発言は一切見当たらず、ダンマリを決め込んでいたと見られる。
さらに、野球賭博問題に関する当時の内館氏の発言をネットで見つけたので紹介する。
(※ちなみに、実際には2010年名古屋場所は開催はされたが、NHKによる生中継が取り止めとなった。)


Q.野球賭博問題の相撲協会の対応に、内館牧子はどういうコメントをしていますか?
朝青龍の時と違って、全然出てこないのは何なんでしょう。
横綱審議委員をやめているから、自由に発言できるはずです。

A.週刊朝日の連載コラム(※「暖簾にひじ鉄」)で、内館さんは名古屋場所は開催すべきと主張しています。ビックリです。(中略)内館さんの朝青龍に対する態度とは全く異なるのも変ですが、自分たちの意に反するコメントは出そうとしないマスコミの姿勢もおかしいです。私は名古屋場所は中止すべきと思いますが、様々な意見をマスコミは掲載すべきで偏向報道大好きなマスコミの一面を物語っています。

(※Yahoo!知恵袋より引用、2010年6~7月)


これらが、「内館氏が相撲協会の役員を狙っていた」という仮説の根拠であり、横綱審議委員時代にあれだけ朝青龍&相撲協会批判で目立っていた事実を知る我々から見れば、この変節・ダンマリは違和感が強く、何らかの “別の可能性” を疑いがちにもなるだろう。
そもそも、横綱審議委員は「 “日本相撲協会の役員” ではないため協会に対し何の権限も無くその運営にも直接関与できない。
実際、大相撲野球賭博問題についても「横審は完全に蚊帳の外に置かれ、改革等の委員会への参加・出席を依頼されることはおろか、意見などを求められることすらなかった。」(※Wikipedia「横綱審議委員会」より)とされている。
横綱審議委員会は、あくまで日本相撲協会にとって「横綱関連メインの諮問機関」の役割に過ぎないのだ。
すなわち、この関係性は「PC本体」と「外付けHDD」の関係に例えると分かりやすいだろう。
横綱審議委員は無報酬で相撲協会の運営に関与できず「名誉職」的色合いが強いのに対し、日本相撲協会役員(理事など)は有報酬で協会運営に直接関与できる点で大きな違いがある。

(※ネット上では「内館女史は相撲協会の理事に就いていたとき、当時人気の横綱朝青龍を非難して一躍名を馳せた。」などと紹介される時もある。しかし、繰り返しとなるが横綱審議委員は「 “日本相撲協会の役員” (理事長以下、理事・監事など)ではない」のでこの紹介文は誤りである。(※そもそも、日本相撲協会の歴史上「女性理事」自体まだ現れていない。)それでも、このような「誤解」「勘違い」は意外にも世間には広がっているのかもしれない…)

いずれにせよ、野球賭博問題から八百長問題にまで発展してしまったことは、内館氏にとってはかえって “大誤算” だった可能性があるのだ。



3.~内館氏と将棋界~

同じ頃、将棋界はどういう状況だったのか?
当時は、すでにコンピューター将棋の台頭が話題となっていた。
2012年の第一回電王戦(米長邦雄永世棋聖vs.ボンクラーズ)の反響も大きく、主催者のドワンゴも次回から棋士と将棋ソフトの5vs.5の対戦形式に一気に拡大する方針を打ち出し、将棋ソフト開発者たちもメディアに度々登場し注目を集めるようになっていた。
このような状況に、将棋界で米長氏という大きな “後ろ盾” を失ったばかりの内館氏は危機感を募らせていた可能性がある。

さらに、2011年に日本将棋連盟が公益法人化した際、サッカー界の大御所・川淵三郎氏(1936~)が連盟の非常勤理事に就任していた。
(※2011~2017年まで在任、川淵氏は米長会長(当時)とはゴルフ仲間だったと言われる。)
つまり、2011年の時点ですでに米長氏の中での優先順位は「川淵氏>>内館氏」であった、ということになるのだ。
内館氏と川淵氏は共に東京都教育委員に名を連ねた時期があり(※内館氏は2004~2016年まで在任)、2011年の将棋連盟役員決定の際、

・「将棋連盟の役員(理事)の就任が、 ( “著名人枠” で)川淵氏に先を越されてしまった」ことへの “焦り” ?
・「公益社団法人としての将棋連盟の新たな船出という大事な時に、連盟に先に関与している自分が役員(理事)に何故なれないのか?」という米長氏への “不信感” ?

これらの感情が、内館氏に生じたとしても何らおかしくはない


(※米長会長(当時)もかつて東京都教育委員を務めていたことは<vol.2>でも触れた。川淵氏は2012年12月の東京都知事選に立候補した作家・都副知事(当時)の猪瀬直樹氏の選対本部長就任のため約1年で同委員を辞任している都知事選は猪瀬氏が当選したが、他候補者の中には現・日本財団会長の実兄も居て、内館氏は日本財団の系列団体でも長年役員を務めている(※現・社会貢献支援財団副会長、ちなみに、米長氏もかつて同団体の理事を務めていたのだ。)。)

その翌2012~13年にかけて、米長氏本人や “米長派” と目された複数のプロ棋士が週刊新潮で次々と槍玉に挙げられることとなったのである。
(※後述。なお米長氏は連盟会長のまま闘病(がん)の末2012/12/18に死去している。結果論だが、これら当時の週刊新潮の記事による心労が米長氏の死期を早めたのかもしれない…)



ここから、<vol.2>で最後に触れた「新事実2つ」(内館氏と週刊新潮の件)の詳細について紹介しながら仮説を基に騒動を検証する。


<内館牧子氏と週刊新潮に関する「新事実」①

「将棋世界」2013年7月号以前の「月夜の駒音」掲載分でも、内館氏は不穏な動きを示していた。


内館氏のエッセイ「月夜の駒音」の「将棋世界」2011~12年掲載分を改めて見直してみると、将棋とは一切無関係の話題の月も度々あり、友人たちとの旅行の話題で「(宿に)将棋盤があった」と無理矢理「将棋」の単語を入れただけだったり、中には「将棋」の単語すらない月もあるほどだった。
読者である将棋ファンが求めていたのは「将棋界との交流を通じた棋士のエピソードなどの “こぼれ話” 」であったはずだが、実際は米長氏以外の関係者エピソードは極めて乏しく、普段もメディアの記事(※将棋関連以外も含む)を引用した感想文に過ぎないものが大半であった。
「将棋世界」の巻頭エッセイであったにも関わらず、実際は座標の中で一点だけ大きくずれているようなもので、ネット上でも、内館氏の記事をまず飛ばして読む「内館スルー」と呼ぶべき読者の声も散見されていた。

そんな内容だったのが、2013年になって一変する。
まず「詰将棋にはまっている」というアピールに始まり、2013年3月号では “盟友” かつ将棋界での “後ろ盾” であった米長氏の追悼文を掲載。
さらに、名誉毀損騒動の “いわく付き” となった「 “あの” 2013年7月号」の前号(6月号)では、次のような内容になっていた。


ある日、本誌の田名後健吾編集長に電話をかけた。
「ねえねえ、タナゴさん。何で定跡を覚えないといけないの?」
タナゴ、しばし絶句である。心の中ではきっと「今頃何を言ってんだよ。」と思っていたに違いない。私は力説した。
「考えてもみてよ。定跡通りに組んじゃ、相手だってすぐ対応できるわけでしょ。」
タナゴ、あきれて無言。(中略)やがて、彼は言った。
「定跡なんか覚えて何になるの?という質問は、初心者から割によく出るんです。」
年月だけは初心者でない私。すみませんね。だが、初心者の多くはぶつかる疑問ということになる。(以下略)


─「将棋世界」2013年6月号掲載 内館牧子「月夜の駒音」第43回「定跡を覚えよう」より


「将棋世界」編集長とのやりとりを「馴れ馴れしい風に紹介」し、これまでにない唐突な連盟関係者との友好アピール。
これは…「 “あの” 次号(2013年7月号)」に向けた “布石” だったのではないだろうか?
中傷記事を載せても、連盟側からは何も言わせない…そのための “圧力” だった
こうして見れば、実はあの中傷記事は内館氏の「計画的犯行」であった可能性まで浮上してくるのだ。



4.~内館氏と週刊新潮~


<内館牧子氏と週刊新潮に関する「新事実」②

問題となった内館氏の記事について、氏自身は<偶然読んだ「週刊新潮」2013年04月25日号の記事を引用しその感想を述べる>という体裁をとっているが、週刊新潮はその2週前の号でも電王戦関連の記事を掲載していた。



週刊新潮という媒体は、以前から将棋連盟を批判する記事をよく書いていました(※注1)。たしか2012年頃は、米長前会長が連盟内の女性職員にセクハラをした、そのことを批判した中川理事(※中川大輔八段、2007~2011・2013~2017常務理事、師匠は米長永世棋聖、宮城県出身で内館氏と同じ東北出身)を解任した(※注2)、それで総会が紛糾した、のような記事をよく載せていたと記憶しています。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
(※以下、2012~2013当時の週刊新潮の主な掲載例)

<※「米長会長」将棋連盟の暴君で愛弟子の常務理事も逃げ出した(2012/01/19号)>
<※「米長会長」セクハラ・パワハラ疑惑が噴き出した!大荒れになった将棋連盟「月例報告会」一部始終(2012/03/15号)>
<※公正取引委員会が内偵する「米長邦雄」将棋連盟前会長のパワハラ遺産(2013/01/24号)>
<※米長派筆頭「田中寅彦」理事選落選で将棋連盟棋士総会の王手飛車(2013/05/30号)> etc…
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

(中略)しかし、週刊新潮は、あの記事<※入玉でコンピュータと引き分け「塚田九段」を泣かせた非礼感想戦(2013/04/25号)>で何をしたかったんでしょうね?私のような無名の人間を叩いても読者を引きつけられないと思うのですが。(中略)それとも、連盟におもねって最初から私を批判するつもりでいた?連盟がこの時点で私に対して相当恨みを持っていたという話は、実は後でいろいろと耳にしています。ただ、新潮が連盟におもねるかなあ?(以下略)

α氏ブログ記事より「新潮記事の背景」(2014/12/22)



(※注1)過去の週刊新潮の将棋関連記事の見出しを見る限り、「将棋連盟批判」より「米長バッシング」のほうが本質に思われる。実際、米長関連以外の将棋記事では「反連盟」色はほぼ感じさせない。
(※週刊新潮は米長政権時代に以前から「米長バッシング」記事を掲載はしていたが、この2012~2013年時に「米長バッシング」が更にエスカレートしている事実に注目すべきであろう。上記「3.~内館氏と将棋界~」と2012~2013当時の「週刊新潮」将棋界関連記事見出しとを照らし合わせながら読むと非常に興味深い一面も見えてくるのではないだろうか?)

(※注2)中川大輔八段は2011年に「一身上の都合」により将棋連盟の常務理事を「辞任」したのが実態で、「解任」は誤り。ここはα氏の事実誤認である。
(※ただし、2017年の理事「解任」は、 “次の騒動” の責任を追及されて青野照市九段・片上大輔六段(当時)と共に解任されている。)


週刊新潮がおもねっていたのは、将棋連盟ではなく「内館牧子氏個人」だった?
内館氏と週刊新潮は実は昔から懇意で、氏は将棋界での勢力拡大を狙い、相撲界における朝青龍と同じような「生贄(人質)」を物色していたのではないか?
そして、週刊新潮はそんな内館氏の “アシスト役” 、すなわち「御用雑誌」として当時は機能していたのではないか?
そんなプロセスの中で、第二回電王戦に出場していたα氏が「生贄(人質)」のターゲットにされてしまったのではないか?
このような「仮説」も、十分成立しうるのではないだろうか。

2013年4~5月にかけて、ちょうど電王戦と名人戦の開催時期に合わせ週刊新潮は隔週で将棋界の記事を集中的に掲載していた。
問題となった「将棋世界」2013年7月号の発売は同年6月初め。
被害者α氏は発売後すぐ将棋連盟に抗議したが、週刊新潮もそれに呼応したかのように6月になって将棋界の記事を一時載せなくなった。
…これは、本当に「単なる偶然」なのだろうか?


※2013/04~05月にかけて、隔週で集中的に掲載された「週刊新潮」将棋関連記事見出し一覧

・ポナンザに初敗北で歴史に名を刻んだ「佐藤慎一」棋士の対局料(2013/04/11号)
・入玉でコンピュータと引き分け「塚田九段」を泣かせた非礼感想戦(2013/04/25号)
・桜が咲いて勝てなくなった「羽生善治」に迫る影(2013/05/16号)
・米長派筆頭「田中寅彦」理事選落選で将棋連盟棋士総会の王手飛車(2013/05/30号)


2013年の週刊新潮に掲載された将棋関連記事は、上記の他には

・「没後20年『大山康晴』名人の盤外の素顔」(2013/07/25号・大崎善生氏による特別寄稿)
・「日本将棋連盟と絶対に手打ちをしないLPSA『石橋幸緒』」(2013/08/22号)

この2つだけなのだ。
この年の週刊新潮は、4~5月にかけて将棋のキャンペーンが組まれていたことになる。

読者の中には、こういう疑問を浮かべる方も居るかもしれないので、予め回答する。


【FAQ】

Q1.内館氏は米長派なのに、週刊新潮はなぜ同じ米長派の田中寅彦九段を貶める記事(2013/05/30号)を書いたのか?
A1.「内館氏が将棋連盟の役員を狙っていた&週刊新潮が内館氏個人寄り」という仮説に立てば、田中九段は内館氏にとってむしろ「目の上のたんこぶ」。だから、週刊新潮がこうした書き方をするのは何ら矛盾しない
(※そもそも、内館氏本人には「米長派」という意識さえ希薄だったのかもしれない…)

Q2.内館氏と米長会長(当時)は「盟友」関係と筆者は述べているが、前述週刊新潮が2012~13年に掲載した「米長会長(米長派)」記事(2012/01/19号ほか)は米長氏らを貶めるものであり、矛盾しているのではないか?
A2.「内館氏が将棋連盟の役員を狙っていた&週刊新潮が内館氏個人寄り」という仮説に立てば、週刊新潮はあくまで「内館氏の “アシスト役” 」であり、米長会長(当時)の存命中であれば内館氏の将棋連盟内での待遇面で譲歩を引き出し易い(※端的に言えば、「分かった分かった。内館さん連盟の役員(理事)にしてあげましょう。」という “言質” を米長会長から存命中に取りたい。)という思惑があった、という解釈が可能となる。だから、週刊新潮がこうした書き方をするのは何ら矛盾しない。さらに、「盟友」は「お互いの利害が一致することを前提とした友情」であって、状況次第で時には “綱引き(駆け引き)” ・ “同士討ち” のようなことが起こっても何ら不思議ではない。「盟友」は「親友(友達)」とは違うのである。


内館氏が横綱審議委員に就任した2000年の週刊新潮には、<特別寄稿 女性初委員内館牧子さんの横審初見参の記「まずどんな服装で行くかだ」(2000/12/07号)>が掲載された記録が残っている。
この頃から、すでに内館氏と週刊新潮の両者は懇意の間柄だったのか…?

おそらく、この可能性については将棋連盟側も以前から把握していて、その前提に立てば、一連の裁判対応の背景も「将棋連盟は、実は内館氏を恐れていた」可能性が見えてくるのだ。



この続きは、次回<vol.4>で。